受動喫煙と化学物質過敏症、そして亡き父に想うこと。
2019年10月02日
「健康増進法」
この法律そのものをご存知ない人のほうが多いでしょう。
平成14年に制定された、れっきとした法律。
もともとは戦後制定された栄養改善法に代わるもの。
所管は厚生労働省と消費者庁。
(消費者庁は表示関係)
特定健診や特定保健指導など、健康事業に関わることや
皆さまご存知「トクホ」、特定保健用食品は
食品衛生法だけでなく、この健康増進法も関わってます。
そして第25条には
受動喫煙対策についても制定されています。
昨年7月に一部の法律が改正されたことにより
オリンピック・パラリンピック開催年である2020年に
「なくそう!望まない受動喫煙」と題し、
その取り組みは「マナー」ではなく、
「ルール・義務」へと変ります。
https://jyudokitsuen.mhlw.go.jp/
(「なくそう!望まない受動喫煙」Webサイト)

国の政策ですから、
当然岐阜県は保健所を通して説明会がおこなわれます。
市町村によっては条例もできてるところもありますが、
高山市は「ポイ捨て等及び路上喫煙禁止条例」。
ポイ捨てと路上喫煙のことのみ。
なんの対策も講じられていません。
ちょっと遅れてるのではないでしょうか。
まぁまだまだ昭和の感覚なんですかね。
化学物質物質過敏症にかかり、
その症状が呼吸器、いわゆる喘息で症状が出る私としましては
煙草の煙、吸ってる人の呼気も症状誘発となるわけで
そりゃ~息が止まったら死んじゃいますから
いつもヒヤヒヤ、頭悩ませてるわけです。
私の父もじつはヘビースモーカーでした。
高度経済成長の真っただ中を生きた人。
煙草はサラリーマンの勲章とばかりに吸ってました。
時代とともに煙草と肺がんの関係性が疑われるようになり、
叔父や私の年の離れた従兄たちは
煙草をやめていきましたが
父だけは決してやめようとしませんでした。
父の部屋は煙草のヤニで真っ黄色。
叔父や従兄がどんなにやめさせようとしても
「そんなもんで(煙草で)がんになるわけないやろ~」と
笑い飛ばして生きていました。
そんな父ががん、それも「肺がん」と宣告されたのは
60歳の定年もすぎ、
第二の職場でもうすぐ二回目の定年を迎えるという時でした。
今思うと、医師の説明をどう聞いていたのでしょうか。
たぶん抗がん剤、放射線治療すれば、すぐ治るつもりだったのでしょう。
最初の抗がん剤治療で入院した病室に煙草を持ち込み、
それを見つけた母親が父に馬乗りになって
煙草を取り上げたと云います。
抗がん剤と放射線治療で
何度も何度も入退院を繰り返し、
日に日に衰弱していく父。
そんな自分をどう見ていたのでしょうか。
亡くなった今では父の想いを聞くこともできません。
久美愛病院が新病院になり
そこに新設された緩和ケア病棟に数カ月お世話になり、
まだ桜も咲かない初春の明け方に
皆に見守られてあの世に旅立ちました。
父は糖尿病を長年患っていたこと
長年の喫煙により
COPD、慢性閉塞性肺疾患も併発していましたので
その最期は
(書けません、ごめんなさい)
そんな父が亡くなる1年前ほどに母に言った言葉。
ある蕎麦屋さんに入った時のできごとだそうです。
他のお客さんが煙草を吸ってるのを見て、
「煙草がこんなにも迷惑になるもんやとは思わんかった。
今は吸ってる人と同じところにおると、てきのうなる。
こんなに人に迷惑かけとったんやな…」と。
肺がんになり、もう長く生きられないとわかってから
そんなこと言ったって、もう遅いのにね。
私自身、医療従事者として大学病院などで
いろんながん患者さんとその家族に向き合ってきました。
本人の苦しみ、
家族の苦しみ、
社会的、そして精神的苦痛。
言葉にすると簡単ですが
家族の数だけ、人の数だけ
病気との戦い、エピソードが存在します。
煙草を吸う人からしたら
嗜好品に文句言われる筋合いはない、とか
外で吸っとって何が悪いんや!、とか
いろいろ思うことあるかもしれません。
でも、あなたの煙草の煙が
家族を、
他人を
そして自分自身をも苦しめることに繋がりかねないことに、
気がついてください。
今、これを書いてるということは
ヘビースモーカーだった、
そしてそれが原因で肺がんになった父からの
声なき声、
メッセージだと思っています。
今ここに残されてる私たち遺族だから
言えることだと思っています。
この法律そのものをご存知ない人のほうが多いでしょう。
平成14年に制定された、れっきとした法律。
もともとは戦後制定された栄養改善法に代わるもの。
所管は厚生労働省と消費者庁。
(消費者庁は表示関係)
特定健診や特定保健指導など、健康事業に関わることや
皆さまご存知「トクホ」、特定保健用食品は
食品衛生法だけでなく、この健康増進法も関わってます。
そして第25条には
受動喫煙対策についても制定されています。
昨年7月に一部の法律が改正されたことにより
オリンピック・パラリンピック開催年である2020年に
「なくそう!望まない受動喫煙」と題し、
その取り組みは「マナー」ではなく、
「ルール・義務」へと変ります。
https://jyudokitsuen.mhlw.go.jp/
(「なくそう!望まない受動喫煙」Webサイト)
国の政策ですから、
当然岐阜県は保健所を通して説明会がおこなわれます。
市町村によっては条例もできてるところもありますが、
高山市は「ポイ捨て等及び路上喫煙禁止条例」。
ポイ捨てと路上喫煙のことのみ。
なんの対策も講じられていません。
ちょっと遅れてるのではないでしょうか。
まぁまだまだ昭和の感覚なんですかね。
化学物質物質過敏症にかかり、
その症状が呼吸器、いわゆる喘息で症状が出る私としましては
煙草の煙、吸ってる人の呼気も症状誘発となるわけで
そりゃ~息が止まったら死んじゃいますから
いつもヒヤヒヤ、頭悩ませてるわけです。
私の父もじつはヘビースモーカーでした。
高度経済成長の真っただ中を生きた人。
煙草はサラリーマンの勲章とばかりに吸ってました。
時代とともに煙草と肺がんの関係性が疑われるようになり、
叔父や私の年の離れた従兄たちは
煙草をやめていきましたが
父だけは決してやめようとしませんでした。
父の部屋は煙草のヤニで真っ黄色。
叔父や従兄がどんなにやめさせようとしても
「そんなもんで(煙草で)がんになるわけないやろ~」と
笑い飛ばして生きていました。
そんな父ががん、それも「肺がん」と宣告されたのは
60歳の定年もすぎ、
第二の職場でもうすぐ二回目の定年を迎えるという時でした。
今思うと、医師の説明をどう聞いていたのでしょうか。
たぶん抗がん剤、放射線治療すれば、すぐ治るつもりだったのでしょう。
最初の抗がん剤治療で入院した病室に煙草を持ち込み、
それを見つけた母親が父に馬乗りになって
煙草を取り上げたと云います。
抗がん剤と放射線治療で
何度も何度も入退院を繰り返し、
日に日に衰弱していく父。
そんな自分をどう見ていたのでしょうか。
亡くなった今では父の想いを聞くこともできません。
久美愛病院が新病院になり
そこに新設された緩和ケア病棟に数カ月お世話になり、
まだ桜も咲かない初春の明け方に
皆に見守られてあの世に旅立ちました。
父は糖尿病を長年患っていたこと
長年の喫煙により
COPD、慢性閉塞性肺疾患も併発していましたので
その最期は
(書けません、ごめんなさい)
そんな父が亡くなる1年前ほどに母に言った言葉。
ある蕎麦屋さんに入った時のできごとだそうです。
他のお客さんが煙草を吸ってるのを見て、
「煙草がこんなにも迷惑になるもんやとは思わんかった。
今は吸ってる人と同じところにおると、てきのうなる。
こんなに人に迷惑かけとったんやな…」と。
肺がんになり、もう長く生きられないとわかってから
そんなこと言ったって、もう遅いのにね。
私自身、医療従事者として大学病院などで
いろんながん患者さんとその家族に向き合ってきました。
本人の苦しみ、
家族の苦しみ、
社会的、そして精神的苦痛。
言葉にすると簡単ですが
家族の数だけ、人の数だけ
病気との戦い、エピソードが存在します。
煙草を吸う人からしたら
嗜好品に文句言われる筋合いはない、とか
外で吸っとって何が悪いんや!、とか
いろいろ思うことあるかもしれません。
でも、あなたの煙草の煙が
家族を、
他人を
そして自分自身をも苦しめることに繋がりかねないことに、
気がついてください。
今、これを書いてるということは
ヘビースモーカーだった、
そしてそれが原因で肺がんになった父からの
声なき声、
メッセージだと思っています。
今ここに残されてる私たち遺族だから
言えることだと思っています。
スポンサーリンク
地域限定品種茶 近藤早生
2025年産の煎茶シーズンとなりました。
高山は旧暦だから。水引の兜飾り。
明日から3月、水引のおひな様を飾りました。
飛騨は旧暦ですが…。水引お雛さまのこと。
もう1月も終わっちゃいますね~。
2025年産の煎茶シーズンとなりました。
高山は旧暦だから。水引の兜飾り。
明日から3月、水引のおひな様を飾りました。
飛騨は旧暦ですが…。水引お雛さまのこと。
もう1月も終わっちゃいますね~。